エイジングという言葉はしばしばオーディオマニア界隈ではエージングと表記され、文字どおりAging、つまり時間を経過させる作業を意味します。
ピアノのための楽曲、エレクトロニクスのための作品といった形式は歴史的にしばしば書かれてきましたが、エイジングのためのサウンド作品「White Noise Field」というものを作りました。
人間による機械のための作品です。
『White Noise Field』(2012)
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音楽は誰のためにあるのか、という問題は時代とともに様々な形へと変遷してきました。
初期の西洋音楽は教会音楽として聖職者によって書かれており、その後は王侯貴族のために書かれた時代、ブルジョワ、中産階級以上に向けて書かれた時代があり、その目的に応じて音楽様式は大きな変遷を辿ってきました。
宗教的なメッセージが複雑なポリフォニーによって阻害されることが問題視されたルネサンス時代後期はパレストリーナ以降の作曲家の作風をいっそうホモフォニックに進めた例もあるように、誰のために音楽を書くのかということは、作家性や個人様式と密接に結びつく問題であり、直接的にサウンドを形作る要因に成り得ます。
現代は大衆のために書かれる現代音楽作品も珍しくは無くなってきました。
資本主義構造の経済活動中のポピュラー音楽は当然利益を求めて大衆に向けて書かれているのですが、現代音楽となると大学や研究機関が予算元となっていたり、誰のために書くのかという部分がポピュラーミュージシャンとは異なります。
中には、人を呼ばなくても良いコンサートやどれだけ売っても赤字になるCDなども存在するのが現代音楽の世界です。
誰に対して音楽を書くのかというのは、必ずしも作家の自由に決定できることばかりではなく、運命のように道が決まってしまっている人もいるので、あまり意識的になっていない作曲家もいます。
しかし、いつの時代のどのジャンルの作品でも総じて多いパターンが、人に対して制作された作品が多いということ。
ここで紹介するエイジングのための「White Noise Field」は人間のために書かれた作品ではありません。
芸術は人間のためだけにあるべきかという人間中心主義的な問題を提起しています。
人間のために作られたものしかアートと呼ばれないのか、それは必要条件であるのか。
人間を対象にする以上、芸術が人間を超える寿命を持ったり人知の及ばない価値を創出したりする可能性も狭められてしまうのではないでしょうか。あらゆる分野で人間中心主義を乗り越えることこそが未来の課題の一つだと思います。
世界は人間だけのためのものではないように、機械やものも人間だけのためと考えるのは一方向的で可能性を狭めてしまう原因になるのではないでしょうか。
効果は別として、植物に音楽を聴かせる人がいますがそれも本気で植物のための曲を書こうとすれば、植物が感じ取れる刺激を波動として表現していくため、人間のために書く音楽とは全く異なるものが仕上がるでしょう。相手が植物だからです。
同じように「White Noise Field」はスピーカーやヘッドフォン、イアフォンのために書かれた作品であり、人間が求める音楽性は考慮していません。
この作品においては、あくまで人間が聴取する行為は副次的なものであり、人間ではなくスピーカーやヘッドフォンといった機械のために作品は書かれています。
この作品の影響によってスピーカーやヘッドフォンといった機械は人間にとって最適な状態にはならないかもしれませんが、機械にとっての最適な状態を目指していることが重要です。
間接的に人間にも何らかの作用をもたらす可能性はありますが、人間無しに自立しているのが「White Noise Field」です。
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White Noise Field (.m4a audio file)
「White Noise Field (.m4a audio file)」 by Akihiko Matsumoto (147MB)