今はサンレコみたいな雑誌で使用機材にSpliceって普通に出てくるようになったけど、そのうちタイプビートも機材と認識されるようになるはず。
商業音楽でオーディオストックが当たり前に利用されるように、お仕事関係ない自主的なインディーミュージックもタイプビートは海外では当たり前になってる。
今はインディーアーティストもプロデューサーの探し方として、アーティストからリリースされてる音源を探しまくって好きな曲を作ってる人に個人的にコンタクトしてっていう流れというより、YouTubeでtype beatで検索してアーティスト活動とは違うかたちで創作を量産してる人の中から探したりもする。
売られてるタイプビートを買ってラップを乗せてアーティスト音源をリリースするっていうのは普通に世の中から受け入れられていると思うけど、次のフェーズとしてはピアニストが別のピアニストのタイプビート的演奏音源を買って、自分のラベリングしてリリースするくらいのとこまで尖り切ってほしい。
芸術家は技術者の最も真逆の仕事で、アートが職人技術競争とは違うというのはルネサンス期からさほど変わってない。技術の限界を突破するためにアートがあるともいえる。小崎哲哉さんが指摘するように絵画や彫刻のような伝統的メディアにおいてさえも、現代のアーティストが行うのは選択。
美術の世界では100年近く前から既に作品は技術を競うものではなくなっている。選択しキュレーションすることが作品で、細部に渡ってアーティストが手を動かして技巧を見せる世界ではなくなっている。
でも音楽はまだそこまで進んでない。今でも技術が議題になるくらい。でもアートの本質はそこじゃない
作曲家は作曲しなければ作曲家とは言えないし、演奏家も演奏しなければ演奏家とは言えない。
けれど、アーティストは作曲も演奏もしてなくても成立する。大切なのは自らの審美眼で選んで構造化して作品として命を与えて編纂する作業で、現代はその創作を芸術と呼ぶ。手作業の技巧の美とは違う世界。