アルゴリズム作曲法によるコンピューター生成音楽

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作曲を探求するためにあえて作曲を封印してアレンジと再構築で既存の楽曲をリメイクしたquelltllの2ndアルバムdying dotsが8/15にiTunes等で発売開始されます。

それと同時並行でソロアルバムも1年前からずっと作っていて毎年2枚づつくらいアルバムをリリースできれば音楽家としてベストな創作体制だと思いますが、こんなに音楽制作に集中できるのは後の人生で今しか無いかもしれないという予感もしてます。
いろいろやってみてわかったのが、タイプが全く違う音楽であれば複数のアルバムを同時進行で作れるということです。
同じようなタイプのアルバム2枚というのとは違って、ネタが枯渇しないですし、一方の気分転換にもう一方の創作を進めるという時間の使い方ができるので寝る時間以外延々と一日中音楽を作っていても飽きないと思います音楽家なら。


動画は創作過程の実験で作ってみたもので、学部時代に勉強した統計的な理論と、後に勉強したノートルダム楽派やフィリップ・ド・ヴィトリの技法など、中世の音楽の技術と現代のプログラミング技術を組み合わせて作った対位法ベースのアルゴリズムによるコンピューターの生成音楽です。
作品ではありませんが、わりと狙った音楽が生成できるようになってきたので、動画を公開しました。

もちろん一音も音符は書いてません。
理論だけをプログラム上で構築してます。
システム的には16世紀までのポリフォニー音楽をコンピュータ以降可能になった新たな技法でアップデートするものです。
ポリフォニーというのは複数の旋律が独立して存在するもので、ハーモニー、和音のようなものは無視されるわけではありませんが、旋律を重ねる過程で副次的に生じる現象で、それ自体の流れをコントロールしようとはしないのが17世紀からの調性音楽とは違うところです。

これを聴いて、コンピューターが作った機械的な音楽に聴こえるでしょうか。
我々が機械的とか、非人間的と判断する音にはどういう特徴があるのか、あらためて考えさせられると思います。(僕自身もです)

アルゴリズム作曲とか生成音楽とか、人間らしさがないと批判されがちなんですが、それはアプローチの話であって、最終的に出力されてくる音を人間が作ったのか、コンピューターが計算を実行して作ったのか、よほど出来が悪いものでない限り、それを音だけから判別することが人間には難しい以上は単なる根性論みたいな話になりがちです。

もちろん、プログラムを作ってる人が考える「音楽」とリスナーが考える「音楽」の定義が著しく相違していると、音楽的ではなくなるのですが
何をもって音楽とするのかというベーシックなイメージが凄く大事になります。ランダムでノイジーな音の羅列でも音楽と考えるなら、同じような音楽観を持ってる人以外からはなかなか理解されるのは難しいです。

アルゴリズム作曲や生成音楽は経験上感じてるのですが、プログラミングスキルよりも音楽そのものの構造、音楽理論よりもはるかに広い意味での構築法に関する知識や経験が重要で、最終的にプログラマーの音楽観がもろ反映される意味でも、従来の作曲とそんなに大きく違うものではないと思います。
ここに確固としたイメージがないと散漫な音楽になりがちです。
ただだらだらとやっていても一向に従来人間がやっていた作曲と同じような楽曲は生み出せません。

もしも楽曲のクオリティーがあがらなかったら、プログラミングの技術面ではなく、音楽そのものの設計がきちんとできているのかを疑ったほうがいいです。結局いろいろ実験していくうちに、どこでGOサインを出すのかは作家なので、判断力すなわち音楽観がしっかりしてなければ質は上がってこないと思います。
音楽の素養があまりないプログラマーが作る自動生成音楽がなかなか音楽的にならない現象もおそらくアルゴリズムや実装能力でカバーするのではなく、音楽の素養の部分を改善するのが最も近道だと思います。

ある音に「人間らしさ」と感じるパターンにはどういう特徴があるのか、音楽認知の視点できちんと考えないことには非人間的と批判することすら、本来は難しいはずです。
これを考えることは、音楽とは何かっていう根源的な問題を考えることで、何が音楽かということと同時に、いつ音楽かという場の問題も重要になってくると思います。

次のアルバムはソロで、わりと前衛的な挑戦をしているのでいろいろプログラムを書いたりして実験しているのですが、実験的なアプローチとか前衛的なコンセプトを実験的な響きで仕上げてしまうと、そういうマニアだけが喜ぶものになってしまうから、いかに普通の音楽の土俵に乗せてさり気なく裏で超実験的なことを追求しています。

このスタンスは既存の音楽を徹底的にリメイクするquelltllのニューアルバムdyingdotsでもアルゴリズミックに音素材をマッシュアップするBLACK PEAKSでも全く同じです。

複雑なこととか実験的なことをそのまま見せるのは芸が無いと思っていて、難しい挑戦をいかにわかりやすく、簡単に見せるかというところにこだわるのは多分グラフィックデザイナーの家に生まれたからで、学者の家とかに生まれてたらまた全然違う見せ方の好みになってたかもしれないですね。

20世紀までの音楽理論家は楽譜を分析することに特化して作曲家のクリエイティビティーを解き明かしてたけど、現代においてプログラムを介して人間の力を超越して作曲された作品に対する分析は楽譜のアナリーゼからだけでは絶対無理だと思います。

現代においてもかろうじて無調音楽とかの価値が理解されてるのは、音楽理論家の高度で学術的な分析が相乗効果で作品の価値を高めてるからとも言えると思いますが、コンピューター以降の作曲技法は最も音楽を理解してる音楽理論家にすら全く理解できない領域に入ってくるから難しい時代になっていると思います。

何が作曲なのか、何が創造的なのかってことを常に考えざるをえません。

技術が高度すぎて作曲者自身以外は分析も解説も不可能となると作品の評価は聴覚主体に戻ってくるのではないかという感じもします。
バビット以降の数学のように構築された音楽を理論込みで評価するのではなく、何をやってるのかわからなすぎて逆に聴感上の美だけで音楽の価値を測る流れが出てきても不思議ではないと思うので、僕の音楽は聴感上どう聴こえるのかということを最重視してます。
技術的な挑戦をするにも、それが聴感上反映されなかったり、わからなかったりする場合は却下してます。
それはわりと舞台音楽とかインスタレーションのプログラミングでも同じことをしていて、単にコンセプト止まりにならないように、きちんと聴覚で認識できる美を追求してます。