現代芸術は音楽も美術もそうだけど、歴史や文脈を積み重ねるところが1番面白いところで、アートは個人主義に見えて実は過去の他者の作品との関係性を最大限重視している。一人では作れないものを死んだ人も含めて一緒に作って超多人数で歴史の編纂をしているような面白さがある。知を積み重ねる文化。
アートが文脈、歴史を重視するのは、社会に対して最先端の表現をして新しい価値観を提示しているかを判断できるようになるからで。歴史や文脈がないとアートの歴史よりも短い人間の寿命や直感の感性の中で、限界を突破できない似たような表現が繰り返し生産されて、様式が進化しない。
現代音楽では20世紀以降調性音楽を書くことはご法度とされている。でもそれは調性音楽の質が低いという理由ではないしポップスはほとんど調性の範疇。歴史を繰り返しても音楽が進歩しないので作曲家が新しい様式の模索をしてるのが音楽史。歴史や文脈なかったら芸術音楽は16世紀で終わってたと思う。
音楽に文脈や歴史、教養は不要で刹那的な快楽のみが評価対象なんだとしたらストラヴィンスキーの春の祭典のような作品は初演が失敗=おしまい。になっていたはず。その時代にいかに先駆的表現をしたかの評価は歴史文脈抜きに行うのは不可能に近い。音楽史は人の一生より長い。
人々が歌を歌うようになり、進化を積み重ねた頂点は16世紀のパレストリーナの時代で一つの究極は極めていると思う。この方向性ではこれ以上の進化はない。ここから先にちゃんとポリフォニーを過去のものとして葬ってバロック時代に進行した文脈は重要で。快楽とは違う力学。
芸術には重層的な文脈があって、特に作曲は目の前のお客さんを満足させるだけでなく、既に世の中にいない故人に対しても彼らができなかった新しい価値観を提示しなければならない。その場のエンターテインだけでなく、歴史を繰り返してないということが大切なので、教養や文脈意識が欠かせなくなる。
音楽でいうと、そういった歴史や文脈至上主義の西洋芸術としてのクラシック音楽/現代音楽と、歴史や文脈とは一切切り離されて、その場の快楽を提供するポピュラー音楽は完全な棲み分けができているし、今は作り手すら二つの真逆の文化を行き来する。両方に別の創造性があって面白いので。
西洋芸術音楽の音楽史は不可逆的なものなので、例えば20世紀のような作品を17世紀に誰かが書いていたとしても(技術的には可能)連続性が分断されすぎて全く評価されないはずで、連続的な文脈を継続してる面白さなんですよね。ストーリーだから間の作品を飛ばすと現代の曲の面白さがわからなくなる。
21世紀の現代曲がわからない人は音楽史の作品を歴史の順番に聴けば少しは聴きどころが分かるようになると思います。特に古典派以前の中世、ルネサンス作品はきちんと聴くと全然違うと思います。ライヒ、リゲティ、ケージ、ドビュッシー、ウェーベルンなど近現代の大作曲家の多くが参照している時代。
芸術と娯楽で根本が違うところは芸術作品は表面的に見えている部分が作品の本体では無かったりする点。表層は入り口でもっと奥深く、人の心の中で起こる作用の方を設計しているのが現代芸術なので、技術より知性を作品にしている。20世紀からは技術や造形の美しさを表現する分野ではなくなっている。
美術の美という字面なせいで日本では誤解をうけやすいけど、美術も芸術も美しさだけを扱う分野ではない。 特に20世紀中盤以降は直感で理解できる美は芸術のメインストリームではない。造形的な美しさや技術力で表現したい人は工芸とか産業とかアート以外の創作分野を目指さないと居場所はないと思う。
芸術という文脈での音楽の場合常に歴史を背負っている。中世からの歴史的背景が内在し、作品が成立している。アントン・ウェーベルンが20世紀のセリエリズムで達成しようとしていることは調性和声以降の無調の新規性と同時に中世のカノンの技法の再発明のミクスチャーがある。
ウェーベルンの学位論文は15世紀のハインリヒ・イザークの中世音楽に関するもので、歴史意識が音楽を進化させた好例。様式をミックスするのは20世紀の発明ではなくギョーム・デュファイのような中世の先駆的作曲家はヨーロッパ各地を転々としながら各地の様式を混ぜ合わせることで時代を進化させている
ウェーベルンのSerialismやAtonalに対するカウンターとしてのアルヴォ・ペルトのミニマルな技法は教会旋法とトライアドの再発明。決して調性音楽ではないんだけど、無調の次の時代の音楽。楽譜見ての通り音階と分散和音しかない。長大な歴史の蓄積が生んだような作品。
もしかしたら現代音楽は現代美術以上に文脈や歴史意識は強固かもしれない。教育でも徹底して歴史をやる。博士号取得など半端ない音楽史への教養が必要になる。歴史的連続性の文脈の上にあなたは最新ページでどういう何をやるんですか?っていう回答作品が作曲家には求められる。好き勝手作るのと違う。
西洋芸術音楽である現代音楽はその見えないルールは歴史や文脈を勉強しなければつかめない。今現在やってはいけない禁則は過去の歴史があって継ぎ足しと部分解除から生じているルールで、そのルールの範囲でいかに新機軸を作っているかという角度から批評は行われる。言ったもん勝ちアートなどではない
かつての禁則の部分解除の提案作品は作曲家としてはかなり攻めなので勇気がいる。12世紀ペロティヌスの時代にはすでに過去の遺物になっていた原点、モノフォニー様式を20世紀に復活させたのもジョン・ケージ。ピアノが生まれるよりはるか昔に滅びた様式を現代器楽で再発明。
https://youtu.be/Nb0aGOcZmIw
長々と文脈/歴史の重要性を書いたけど1番大事なのはアートはエンタメの上位互換などではないこと。創作表現の最高峰が芸術と呼ばれるわけではなく、ある特定の西洋の創作文脈のみが芸術とされてるだけなので、クリエイター皆が芸術を目指す必要はないこと。特に日本は芸術より優れた創作たくさんある。