作品と作者人格は切り離して考えるべきかは常に議論になるし、ケースバイケースな気もするけれど、仮に人格が優良な人の作品以外、過去数百年遡って音楽史から締め出しますってなった場合、いったいどれだけの人や作品が現代に残るんだろうとは考える。
作品だけでしか社会貢献できないのは悪か。
音楽は作者の死後も作品が残るもので、生前没後でだいぶ印象が変わってしまう。同時代の周りの人にどれだけ迷惑をかけて、人物の評判が悪かったとしてもそれは案外風化して、作品の綺麗なイメージだけが残り続ける。ほとんどの現代人は歴史的作品と故人の人格を切り離した向き合い方をしている。
一方で同時代の作者に対しては、身の回りの同業クリエイターの友人知人に危害を加えた形跡がある人格の人だと、普通に自己防衛する気持ちが働いて、作品とも作者とも距離をとってしまう。
音楽家自身も人格と作品を結びつけたり、切り離したり、使い分けるような矛盾を抱えながら日々仕事をしている。