ジャン=ミシェル・バスキアとGray


Grayというバンドをご存知でしょうか。
TakuroとTeruと… ではなく、G”r”ayです。

Grayはグラフィティーを描く画家としても「バスキア」や「Downtown81」といった映画で有名なジャン=ミシェル・バスキアが生前に組んでいたバンドであり、インダストリアル、パンク、フリージャズ、ノーウェーブ、ヒップホップ、実験音楽の要素を含むニューヨークの80年代の先鋭的な音楽です。

shades of … というアルバムはバスキアの死後、残ったGrayのメンバーがオリジナルのサンプルを元に再構築したアルバムであり、Gray名義の公式アルバムとしては唯一のものです。長らく音源が無く、名前だけは有名な伝説のバンドでしたが、2011年に初の音源がリリースされています。
ジャケットの絵もバスキアによるものです。

GRAYのメンバーは、バスキア以外に80年代初めのヒップホップ黎明期の重要人物マイケル・ホルマンとニコラス・テイラー、ウェイン・クリフォード らで構成されています。
一時期は俳優でありながら、音楽、録音にも強いこだわりがありサンレコの表紙にもなっているヴィンセント・ギャロもGrayに在籍しています。ギャロのRecording of Music for Filmsにも通じる世界を感じることができるでしょう。
今聞いても80年代の先鋭的なアーティストが当時の限定的なテクノロジーでどう新しいことをやろうとしていたのか、興味深い内容です。

— バスキア (wikipediaより) —

プエルトリコ系移民の母親と、ハイチ系移民の父親の間に生まれ、幼い頃から絵を描き、芸術的な活動をするように母親から奨励されていた。17歳の頃から地下鉄、スラム街地区の壁などにスプレーペインティングを始める。活動を続けるうちに高校を中退したバスキアは、Tシャツやポストカードを売りながら生計を立てていた。徐々に彼の描いたスプレーペインティングは評価され、キース・ヘリング、バーバラ・クルーガーの助力でニューヨークで個展を開くようになった。また、絵の中に描かれる王冠は彼のトレードマークとなっている。一時結成していたノイズバンド「GRAY」の名は交通事故のさい母親が病室に持ち込んだ本が由来している。

1983年にはアンディ・ウォーホールと知り合い、作品を共同制作するようにもなる。1987年のウォーホールの死まで2人の互いに刺激しあう関係は続いたが、バスキアは徐々にヘロインなどの薬物依存症に陥り、妄想癖が見られるようになった。

1988年、薬物依存により27歳で死去。

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