かつて芸術、特に音楽は中世においてテクノロジーと密接に繋がったものでした。
音楽理論は自由七科(文法、論理学、修辞学、算術、幾何学、天文学、音楽)のひとつに分類され、音楽の調和は、自然界の調和の象徴であるとされ、音楽理論は算術・幾何学・天文学と並ぶ数学的四科のひとつとされていました。
音楽は他の数学的学問と同様、自然界に内在するある種のイデアを追求する学問と考えられていた時代があります。
そこから脱却していったのが20世紀までの流れですが、コンピュータの出現以降再び芸術を自然科学やテクノロジーの側面から見直す動きが活発になっています。
コンピュータ以降我々はこれまで考えられなかった程制作環境が向上し、技術的な制約はかつてと比べ物にならない程緩和されています。
こうなってくると、もはや思いついたアイデアは何でも実現できるような状況が出てくるのですが、新しい発想なら何でも芸術かというとそうではない。
何をもって芸術と考えられるのかという着眼点は今まで以上に重要になってきます。特に、これは新しい芸術なのか、単なる新技術なのかという議論はこれまで以上に盛んになています。
2010年3月27日に芸大上野で興味深いイベントが開催されます。
何をもって芸術とするかには明確な答えはありませんし、時代とともに変化していくものです。
つまり、第一線の流れを追っていなければ芸術とは何かというヒントをつかみ損なってしまいます。
もちろん、これはある程度経験のある芸術家にも言えることで、昔取った杵柄であぐらをかいていては芸術から取り残されてしまうと私は思います。自分の固定観念をどんどんアップデートしていくのが理想的な生き方ではないでしょうか。
以下の情報はサイトからです。予約はいらないようなので、あらゆるジャンルの新しいものを作っている人は参加してみてはいかがでしょう。
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映像メディア学を標榜する東京芸術大学大学院映像研究科では、映画、アニメーション等の制作実践を学生たちとともに行うと同時に、映像に関わるメディアのあり得べき方向性を模索して来ました。
このたび、本研究科は20世紀の急速な技術の変化に対して、芸術家たちが行って来たさまざまな実験等を再考するため、第一回映像メディア学サミットを開催することとなりました。メディアアート、情報工学、映画、音楽の各分野で、独自の理論と研究から活動するアーティストや研究者を招き、2000年代の文化的状況を振り返りつつ、今後の展望について討議します。
「世界を切り開くのは人間自身である」という、近代的な認識に変化が訪れつつあるのではないだろうか? 近代が追い求めてきた利便性と合理性を実現する手立てとして、技術開発が「善」とされたのもまた、人間が世界をよりよくしてゆくという視点に立っていたからである。しかし、まさか技術による変革が、人間の知覚や認識にまで影響を与え、世界の見え方までをもここまで変えてしまうとは思ってもみなかったことである。例えば、20世紀初頭の映画の発明が、本来不可逆であるはずの時間概念を可逆にした以上に、現在のデジタル情報化の技術は「現在」というリアルタイムな体験を、良い意味でも悪い意味でも、変化させつつある。こうした技術の無意識的な発展は、時として暴力とさえなることがある。情報技術の成熟とともに、メディア技術の問題はますます人間側の問題になっているのである。今回のサミットでは、映像メディアを中心に90年代のアートと情報工学の交差点を確認し、さらに現在の日本の文化的状況を踏まえて、未来へ向けたアングルを模索する。
(藤幡正樹)
第1回 映像メディア学サミット LOOP-01「予見あるいは未見のこと」
日時:
2010年3月27日(土)14:00~18:00(開場は30分前)
会場:
東京藝術大学上野校地 美術学部中央棟 第一講義室
住所:
東京都台東区上野公園12-8
入場料:
入場無料、予約不要(定員180名)
パネリスト:
藤幡正樹/大友良英、ジェフリー・ショー、諏訪敦彦、廣瀬通孝、王俊傑(同時通訳あり)