学生時代に受けた玉川大学の高岡先生の音楽論概説の授業のテーマでした。シラバス
それは現在の自分の音楽観の基盤になる大変重要な授業で、「 現代の音楽理論研究の成果に基づき、音楽の諸相について考察を加える。特に、音楽が音楽であるために必要な条件とは何か、現代の認知科学的な観点から考察する。」という授業の概要が提示されています。
音を楽しむから音楽であるという意見がありますが、music、musicaには楽しむという意味はありません。
この授業は論理的に、科学的に音楽が満たすべき条件を考えた初めての機会でした。
特に、哲学でも修士を持ち、作曲で博士を持ち、和声学やコンピュータ音楽の授業でも教鞭を揮われていた高岡先生の授業は大変密度が濃く、説得力がありました。とてもじゃないけど音楽のみの専門家の音大の先生にはできないような授業でした。作曲のレッスンよりも強い影響を受けたと言っても過言ではないです。
キーワードだけ見てもチョムスキーの生成文法の音楽への適用、 ダイアトニック音階の代数学的構造と認知との関係、音楽的対象を言葉で指示することの問題点、ピッチクラス集合論を使ったWebernのOP.27の分析、シェンカー理論、GTTM、
ユージン・ナームア、レナード・マイヤーの音楽意味論、コンピュータによる自動作曲研究の方法と成果そしてその意義を理解するなどなかなか通常の音楽大学では学べないような音楽学、音楽理論に触れることができました。
それまで自分は、音楽は表現であり、意味を付けて提示した音響は全て音楽と考えていましたが
David Copeのように、ある様式の範囲内では既存の作曲家と同等の自動作曲が可能なアルゴリズミックコンポジションを行えるようになり、楽器法の制約から解放されてコンピュータがどのような音響も合成できるようになった今、どういった音響現象が音楽/非音楽の音響芸術、または雑音に分類されるべきか、作曲家は深く考える必要があると思いました。
当時の期末試験の内容は"4:33"…John Cageは音楽と言えるかを論述するもの。
みなさんは、どう説明しますか。
音響彫刻/サウンドインスタレーションやサウンドアートは音楽ではありませんが音を扱う芸術です。
ターニングポイントはやはりJohn Cageにあると思います。
彼は音楽とは何かを最も探求した作曲家の一人です。