金曜日はいつも楽しみにしてる芸大の講義があります。
デザイン概説。
担当はデザインの現場の編集長をつとめていたデザインジャーナリストの藤崎圭一郎さん。
うちの父親が卒業した桑沢デザインでも教鞭をとっていらっしゃるデザインジャーナリストのかたです。今年から東京芸大に新任の先生です。
授業は毎回超満員で座席が足りないほど。
この授業がまた非常に面白い。お見せできませんが、毎回スライドもきちんと作り込まれていて視覚的にも魅力的。
デザイナーではなくてデザインジャーナリストがやってるところがポイントだと思います。
僕は和声法なんかも作曲家じゃなくて音楽理論家がやってるほうが面白いと思いますが、これもまさに同じ例。
内容的には学生だけでなく、十分に現役の社会人が楽しめるものです(もちろん外部聴講とかは不可能ですが)。デザインを専門としない学生にも興味深い講義でデザイン科以外の科からも受講生が沢山いるようです。
デザインという言葉で一般的に思い浮かぶのは紙媒体の広告デザインだったり、ファッションデザインだったり目に見えるものばかりかと思いますがこの授業で問題になっているデザインとはもっと広い意味のデザインです。
例えば生きていくための人工心臓のデザイン、「すべての人は何らかの障害をもっている」という観点からのユニバーサルデザイン、ロボットや未来身体のデザイン、コミュニケーションや社会のデザイン、デザインにおける正直、ごまかしのスタイリングデザイン、無印良品のノーブランドノーデザイン、コモディティー化の問題、ブランディングとコーポレートアイデンティティー、記号論からのデザインの見方など我々の日常生活に直結するようなテーマばかり。
デザインという行為がいかに社会と密接に繋がっているかを実感します。
特にデザイナーと近くて遠い世界にいるアーティストは、一度デザイナーの仕事をじっくり見てみてはいかがでしょう?ヒントになる考え方がゴロゴロしています。
我々世代で企業に勤めている人はそろそろいろいろなものが自分でコントロールできるポジションにいるかと思います。
「デザイン?センスないから~」なんて一言で片付けないで、一度深く考えてみてはいかがでしょう?デッサンなんて出来なくても意識一つで誰にでもできるデザインはあります。
デザインの領域はとても幅広いです。
デザイナーが企業に入り込み、ブランディングのために新商品の企画から発表のタイミングまで指揮をとり、人事にまで口を出す例(かつてのモスバーガー)もあるそうです。
デザイナーがデザインすれば解決する問題を、不適切な部署に丸投げして台無しにしていませんか?
僕も過去振り返ると自分がやればもっと良い解決方法が提示出来たことはあったなと反省します。
ブランディングという考え方はどの業種の企業でも今後ますます重要になっていくでしょう。ただなんとなくだらだら意見が集積して企業の形、イメージが作られることが日本の場合多いでしょうが、統一感をもたらすためにはデザイナーが重要な鍵を握っていると思います。
外に向けたイメージ戦略だけでなく、中にいる社員の意思の統一すらデザインによって解決する場合はあります。
しかも、ツイッターやブログによって誰もが企業と変わらないレベルで社会に対して情報を発信できるようになった現在、ブランディングは個人でも必要と言えるのではないでしょうか。
例えば就職活動時に、学生の活動をチェックするために採用担当にインターネットで名前を検索されるということすら行われるようになっていますし、特にインターネット上での個人のセルフプロモーション、ブランディングは無視できない時代になっていると感じます。
やりすぎは気持ちが悪いですが、無意識にネット上に自分をさらけ出し、情報を垂れ流していても他人から魅力的な人間に見える例は稀かと思います。
情報発信者として、その一言一言が文脈を作り、個人の作家性を印象づけてしまうことは認識すべき問題なのかもしれません。
デザインするな―ドラフト代表・宮田識 | |
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藤崎 圭一郎
DNPアートコミュニケーションズ 2009-03 |