突如として先端の映像演習の授業で10月から始まった山川冬樹さんのパフォーマンスのセルフ解説。
心臓の鼓動で光を発生させるパフォーマンス、まさか芸大で見れるとは思いませんでした。元々映像でこの作品をやってたそうです。それがなぜ電球に変わったのかという経緯も面白かったです。映像にはフレームがありますが、そのフレームの外にあるものを表現する場合、音や光は有効なのでしょう。
システムはDMXとMax/MSPが使われていました。
心臓の鼓動とは自律神経系と随神経系の中間にあるようなもので自分でスピードはコントロールはできないものの、自分で意識的にコントロールできる呼吸を介してであればある程度コントロールが可能な器官。これを使って演奏を行っているとあたかも誰かと一緒に演奏をしているような感覚になるそうです。
芸大先端芸術表現科以外で赴任されてる多摩美ではパフォーミングアーツという授業で、パフォーミングの歴史と山川さんのやっている作品紹介などをしてるそうですが、山川さんは教科書から引っ張ってきた様な歴史の紹介ではなく 自分達の身の回りでおきている事と関連して話す授業だそうです。
先端の映像演習は技術を学ぶというより、映像ってテーマを通じて山川冬樹のアーティスト像に迫る授業でいろいろなことを考えさせられます。毎回演習の前に山川さんのお話があるのですが、それがとても重要な問いだったりします。例のドブスを守る会の映像についてだったり、旬な話題の問題点をアーティストの視点から伺えるのはとても刺激的なんです。
先日はホーメイのワークショップまで授業中に開催。山川さんのアドバイスの下、本場トゥバ共和国直系のホーメイをみんなで練習しました。
僕は出来るようになってないのですが….
ホーメイは声を出すということより、音を聞く能力を高めなければできないそうです。声の中にもともと含まれる特定の倍音成分を注意深く聞き、そこを掘り出すような口の動きを探って歌うようなアプローチ。歌うと同時に聴くということへの意識が高まります。
ものごとにはinとoutがあって、ホーメイの歌を聴くこともそうですが、inがなければoutは成立しません。
それはそのまま映像やその他の芸術の制作にも言える事。
結局感じる能力がなければアウトプットできるものだって虚構ですよね。
その人が世の中をどう見てるのかっていう部分をアウトプットしなきゃリアルではありません。
続いて翌週には引き続き声をテーマにした作品をいくつか教室でデモンストレーションしてくださいました。
これはトーキングモジュレーターというギタリストにおなじみのエフェクターをつかった作品なのですが、マイクとホースを別々の人が担当して、自分の声で他人が喋るという不思議な仕組み。
自分が声を出しているのにそれが第三者によってコントロールされてしまう作品。この声は誰の声なの?っていう問題提示。声帯の持ち主と口腔の持ち主どちらが声の主?
この着眼点ってトーキングモジュレーター発祥の楽器であるギタリストにはないものです。アーティストならではの視点。
続いて、SONYのウォークマンのCMでおなじみの骨伝導とびちゃびちゃリバーブによるパフォーマンス。
これはホーメイから続くパフォーマンスで、エレキギターの歴史から講義がはじまったんだけどジミヘンがディストーションギターと奏法でヨーロッパ由来のギターの歴史を変えて完全に自分の表現にしたというところから話が始まり、山川さんの借り物の表現であるトゥバ共和国のホーメイをなんとか自分の表現に昇華するために試行錯誤したのがジミヘンのパフォーマンスからヒントを得た電化だったとのことです。
こういうネタばらし的な話を若い学生にきっちりしてくれるのはアーティストである以前に本当に素晴らしい先生ですね。
他人や他文化から生まれた表現を自分の表現に昇華するって誰にでも重要な問題。
芸術って摸倣から始まりますよね?
でもそれだけで自分を表現するなんてありえない話で、いつか乗り越えなければいけません。
ジミヘンは過度に歪んだディストーションギターでフィードバック奏法や過去のギタリストに出来なかった独自の表現を開拓していきました。
山川さんは電化によってホーメイを口を閉じていてもできるようになったそうです。SONY映像で聴こえてくる音声がそれです。
アコギとかに取り付けるコンタクトマイクを顔面に取り付けて、歯をガチガチいわせる音や頭を叩く音をパーカッションとして利用しつつ、口を閉じてエレキホーメイができるという。
このポリフォニックはホーメイは完全に山川冬樹独自の表現になっている。
そして山川さんにしかできない表現になっている。これぞパフォーマンスアーティストですね。
やはりパフォーマンスって受け取るエネルギーが違う。メディアとして人間が介在してるからかな?
この現代的ホーメイをトゥバの現地の人達の前でも披露したことがあるそうです。
面白がってくれたという話を山川さんも嬉しそうに話しています。
最後に東京都現代美術館に収蔵されたvoice overの解説をしてくださいました。山川さんのお父様であるアナウンサー山川千秋さんの声を素材にした映像インスタレーション。
山川さんにとってお父様の声を使うことは遺伝子で繋がっている以上、身体的表現だとおっしゃっていました。見る事は何かと向き合うことですが、聴くということはそのものと一体になる感覚があり、それを利用したインスタレーションになっています。
4chに配置されたサラウンドスピーカーからは鑑賞者を過去に引きずり込むような環境音が再生され、5台のテレビから再生される音は現在に引っ張り出してくるような音、挿入されている泳げタイヤキくんの歌はラジカセから再生され、床振動によって発生する音は過去に無かったものを表しているそうです。システムにはなんと、アップルのLogicが使われていたそう。そこからmidioutも使ってDMXでテレビやDVDを操作していたそうです。
これはある意味サウンドアートでもあるとおっしゃっていました。音を聞く事によって内面に立ち上がってくる映像をも利用した作品です。
タイトルのvoice overというのはナレーションなど映像のフレームに映っていない人間が後から音声を追加する技法のことを意味する映像用語ですが、この作品では山川千秋氏がその半生をモノローグのようにテープレコーダーに語りかけるところが、外から「生」というフレームの中身を見つめるようなものでありvoice overとと名付けられているそうです。
また10月から展示が行われるようなので、春に見ていない人は東京都現代美術館に~
そして、山川さんは愛知トリエンナーレにも参加されています。
10月30日(土)19:00
10月31日(日)16:00
山川冬樹
Fuyuki Yamakawa
『Pneumonia』
チケット料金2,000円
ロシア連邦トゥバ共和国の民族音楽における独特の歌唱方法、「ホーメイ」を巧みに操り、芸術の境界を横断する脱領域的活動を展開。心音を重低音で増幅させ、鼓動を光の明滅として視覚化、また骨伝導マイクを用いた頭蓋骨とハミングによるパーカッシブなパフォーマンスなど、医療機器やテクノロジーを介し、身体を空間化させる。今回は、気息をテーマにした新作《 Pneumonia》を世界初演。
http://aichitriennale.jp/artists/performing-arts/fuyuki-yamakawa.html
現代アート事典 モダンからコンテンポラリーまで……世界と日本の現代美術用語集 美術手帖編集部 美術出版社 2009-03-04 |