芸術作品における責任の所在

今年話題になった「ドブスを守る会」の映像。
ここにも通じる話ですが、作品を製作した際に発生する責任の問題はシビアです。

先日大学院生の友人が作品のプランについてNGを出されました。
他人に迷惑がかかるから辞めろと怒られたそうです。僕には教員の立場からNGを出す理由も分かるし、そこに納得ができない学生の気持ちもわかります。
社会に対して波紋を呼ぶ可能性がある作品を発表し問題が生じた場合、担当教員が処分される例があるので、ここでは責任の所在が問題になるのだと思います。

インディペンデントに活動してるアーティストなら、何か社会的な問題が生じても作家が全責任を負うことがあたりまえで、バッシングを受けるなり何らかの責任を個人が負わされて治まる話なのですが、学生であったり、企業や研究機関に所属し看板を背負いつつ作品を製作しているアーティスト(この種のアーティストはメディアアート系にしかいないかも知れませんが)にとってはそうはいきません。

例え全責任は自分が負うと宣言していても世間はそうは見てくれません。
大学生であれば当然担当教員の監督責任が問われますし、企業に所属していれば株価にも影響します。作家だけでなく、その他の人にまで責任の範囲が及んでしまう事が避けられません。
そのような責任を作家1人で負うといったオプション契約すら存在しないので、どこかに所属して作品を作っているアーティストが手に負える責任には限度が生じます。

こうなってくると、少しでも問題になりそうな作品は上から制限されるし、簡単には許可がおりず作れないということになるのですが、現代芸術においてそのラインを除外して作品制作を考えると、活動が大きく制限されてしまうケースは少なく無いと思われます。
爆音であったり、過激な光の点滅であったり、ショッキングなシーンであったり、ハッキングであったり、他人に何らかの迷惑をかける可能性がある作品はすぐに思いつくと思われます。

こういった表現を行う際には、アーティストとして誰かに保護されるようにどこかの機関に所属せず、自立する必要性がありますね。
何処かや誰かに帰属している人にとって、責任が伴うような際どい作品の製作は難しいです。

やはり、あらゆる面で何かに依存せず「自立」するということはアーティストにとって重要です。

作品を公に発表する以上、多かれ少なかれ批評の目に晒される事にはなります。
良い作品を作れば誰しもが絶賛してくれるとは限らず、賛否両論があって当然の世界です。
その中で否定的なことを言われた場合、自分はどう対処するのかが大切ではないでしょうか。
信念を持って表現した作品であれば、たとえ社会的に問題がありそうな作品であっても正当な反論が当然打ち出せるだろうし、簡単に引き下がってしまっては「あれは悪ふざけだったの?」という話になってしまいかねません。

芸術と倫理の着地点は難しいものです。

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