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本日はRESONANCEで初のトークイベント無事終了。
いつもはワークショップやってたのですが、ワークショップ形式では扱えない重要な内容ってアートやクリエイティブ界隈にはたくさんあるのではということで、いつもは一緒にRESONANCEを企画してキュレーションしてる高橋裕行さんに「メディアアート史入門 〜古いメディアアートが新しかった時〜」というタイトルでお話いただきました。
メディアアートについて一回では語り切れるものではないとは思いますが、インターネットで調べてもなかなかたどり着けないような話が欲しいと高橋さんにお願いしたので、新たな視点、思考、作品や歴史の一例を知ることができたのではないでしょうか。
今切迫してる問題というと「メディアアートという既存の用語を勝手に別の意味で書き換えるな勢」VS「メディアアートという言葉の意味は変化しているし勝手に文脈や歴史に接続するな勢」な気がするからその辺整理して何が対立してるのか具体的に知りたい人は多いのではないかと思いますので、そのへんもいずれ。
何がメディアアートで何がメディアアートじゃないのかを突き詰めていくと、そもそも何がアートで何がアートじゃないのかという話に集約される傾向もあると思います。
日本でアートという言葉が使われているものの90パーセントくらいは西洋芸術とは文脈の関係がないと思うし一般に全く芸術は理解されてないと思います。
僕は芸術というものは定義が不可能なほどめまぐるしく可変するものであると捉えていて、あまりに変化するからこそ常時アーティストや批評家が議論をしてぼんやり芸術の全容を探ることをやり続ける必要があるのではないかと思ってます。特に意味の縮小側と比較して拡大側が飛躍的に広がっていくもので。
音楽でいうと西洋芸術音楽の文脈を厳格に時には排他的になり守り続けている現代音楽は閉鎖的な感じがあって、当事者も現代音楽自体がうまくいっていないと危機意識を持ってたりもする。メディアアートがどうなっていくのか、強い文脈意識で排他的にまとめていくと現代音楽のような文化にもなりうるかなと。
現代音楽は文脈を厳格に守るがゆえの制約もあるため、テクノロジーの発展、特にコンピューターの民主化でいつしか最先端を追求するものではなくなっています。最先端の音楽を期待する人が現代音楽に興味を持つわけではない現状もあります。メディアアートも最先端技術による表現とは別個に進化する未来もありうると思います。
ところで、アーティストが主導するプロジェクトやレーベルってアーティスト以上の人が出てこないってジンクスがあるので、RESONANCEでは僕の作家としての色とかが出すぎて松本予備軍みたいな人ばっかりにならないように意識的に僕が登壇者になるのは避けてるのですが、高橋さんがガンガン前に出るっていうのはありだと思います。作家ではないですし。
高橋さんにしか語れないことって実はたくさんあるから、シリーズ化してRESONANCEに限らずたくさんトークやったほうがいいんじゃないかと思いました。
今回の応募も3日もかからずに即売でしたし。今メディアアートを整理して語れる人の需要ってすごくある気がします。